2012年09月11日

書評:仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』講談社現代新書

本書において仲正さんはアレントが唱える「思考」の危険性について根本的に誤った紹介をしているように思う。第四章「傍観者」ではダメなのか?「精神の生活」とは?の中で「思考」についてアレントの見解を以下のような要旨で紹介している。(追記:あくまで筆者の独断要約です!)

「思考」は抽象的問いに取り組むものである。ゆえにどこかで思考を停止させないと政治や道徳は機能しなくなる。だから「思考」は危険なのだ。

しかし、私の理解ではアレントの言いたかったことはまるっきり反対のことだ。「思考」は抽象的で答えのでない問題に取り組むものである。そのことに嫌気がさして我々は「思考」そのものを停止させてしまいがちである。この思考停止こそがもっとも危険であるというのがアレント思想の核中の核だ。「思考」が危険なのではなく、「思考」しないことが危険なのだ。既に現象済みの世界を、引きこもった「思考」により解凍破壊して、新たに再構成したうえで再び新しい世界(意味)として現象させるactionを全体主義を防ぐ手段として非常に重視しているのがアレントだと思う。

「思考」は危険に見えるが非常に政治的(一者の中の二者のaction)で実は全く危険ではない。危険なのは「労働」を価値の中心においた社会の中で「思考」を停止してしまうことだ。「思考」の停止は存在の意味の画一化を招いてしまう。「思考」をよくする独居(solitude)な人ほど、「思考」に疲れて「思考」を停止し孤独(loneliness)になりがちである。「思考」が一見危険なのはこのためである。この結論こそアレントが「思考」を救おうと懸命になって研究した晩年の努力の成果であろう。

思考を停止し、判断で見出した範例や英雄をそっくり真似る意志(真似た意味)を抱いて現象する。それは政治でも道徳でもなくプラトニズムだ。仲正さんは妙に判断を高く評価しすぎている。カント政治哲学講義を訳されたからだろうか。ベイナーのアレント解釈の誤りをそのまま引き継いでしまっている。仲正さんは、判断における拡大された心性や共通感覚を鍛え合うことから複数性を発見するのだと言っているが、それでは複数性を発見できない。画一化してしまうのがオチだ。

アレントによれば人間は事実として複数であり自由なのだ。我々は人々の間に事実として出生するのだ。その手すりの無い自由という偶然性にヒトは耐えられない。だから寄る辺を求めて判断だけに逃げてしまい思考を停止すること。これをアレントは恐れたのである。思考がなければ判断力は解放されない。反省的判断はなされず、規定的判断のままだ。思考は手すり無き空しい精神運動であるが、シーシュポスのごとく考え続けなければならない。多数たる人間はそのように条件づけられているのだ。偶然(自由)という運命を背負い続けなければならない。そしてその空しさに対しては物語ることによって耐えるのである。

物語り、偶然性に耐えるために人間は集まり判断する。あくまで自由に耐えるために政治空間は生まれるのであって、偶然から逃げるために政治空間を創るのではない。鍛え合うためではなく、尊び合うために集まるのだ。尊び合い勇気を得て、独居(solitude)とともに未来へ向かって戦う意志を抱くのだ。鍛え合うなどといっていたら独居(solitude)で立ち向かう意志から逃げたニーチェやハイデガーの二の舞である。鍛え合い流派ができることをアレントは嫌っていたはずだ。言論の拳を交えあい互いの健闘を尊び合った後は、再戦の約束をし、きれいサッパリ別れなければならない。ノモスの壁は古代ギリシアのように自由人「たち」のために創るものではなく、一人ひとりが各自で抱くものなのだ。カントの知性と理性を分離したテキストは、そのために読むべきである。ゆえに判断力批判は全く新しく解釈されなければならなかったのだ。

アレントは、思考、意志、判断どれかを特に高く評価しているわけではないと思う。大切なのはバランスだ。仲正さんは、判断はするが傍観しているだけで、活動に出ていかないことをよしとする。そして、活動が終わった後にミネルヴァの梟が飛び立つがごとく歴史という判断を紡いでいくことを高く評価している。だが、それはアレントが最も嫌う解釈のように思う。ミネルヴァの梟が語る弁証法的歴史物語(ヘーゲル、マルクス)は断固拒否しなければならない。未来という不可予言性に戦いを挑む勇者が懐に抱く英雄譚や神々は、勇者ごとにそれぞれ違うべきである。アレントのいう歴史物語とは、人間活動の偶然のはかなさに耐えるために、個々人の活動を物化した紀伝体物語なのだ。編年体では決してない。散って行った先人たちの散り様を記録したあだ花なのだ。アレントは哲学などという甘っちょろい寄る辺を与えてくれる象牙の塔の中の政治哲学者ではない。きちんと現実と向き合っためちゃめちゃ厳しい政治理論家なのだ。

複数であることが、この世の掟なのである。 これは、アレント政治理論のいってみれば公理だ。全体主義の悲劇を繰り返さないためには、この公理を大前提として据えた政治理論が不可欠であり、それは理屈ではないのだ。



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2012年09月10日

書評:竹田青嗣 超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』 講談社現代新書

一般に「超越」というとカントのいう超越論つまり主観のアプリオリな限界を超越した視点(視座)や存在といった意味がある。たとえ主観を超えても理性が把握できれば「超越論的」であり、理性も及ばないものは「超越的」と呼ぶ。一方で、フッサールのいう「超越」は純粋意識が現象を構成する際に純粋意識を超越(補完)して現象を構成するものという意味がある。フッサールを読む際は超越の意味がカントとは違うということを注意して読まなければいけない。フッサールの超越は方法であり、カントの超越(論)は視点(視座)または存在である。

もちろん二つの超越は無関係ではない。カントのいう超越論的存在(物自体)やハイデガーが求めた「存在」、フッサールのいう「大地」といったものは、純粋意識からの「超越」という「方法」で確信するものであって、それは現象や世界を構成するという「超越」と全く同じ「方法」で確信するものだった。ただ、現象や世界を超越によって確信する方法とはベクトルが違うだけにすぎない。確信する対象が現象か存在かの違いがあるだけだ。だから「超越」に意味の二重性はないと考えても問題はないのかもしれない。(ただし、竹田さんは本書で二つの超越をきちんと分けて考えることを主張されている!というのも、現象に対する確信と存在に対する確信との間には、共通了解の確信が可能か、それともただ個人的確信に留まらざるを得ないかという大きな違いがあるからだ!)「超越(フッサール)」という「方法」で確信する「存在」が「超越論的存在(カント)」である。ただ『理念』においてフッサールは「超越」をカント的意味で用いており、フッサール的意味の「超越」概念は「構成的内在(明証的に構成される自己所与性という意味での内在)」という用語を当てている。そして「構成的内在とは実はカントの言う超越とみなされていたものだったのだ!」という論理の運びになっているからややこしい。

フッサールの現象学は厳密な基礎付けの学というスローガンがあるために、認識の究極的基礎となる存在や地盤といったものを獲得する学という誤解があった。ハイデガーの現象学のおかげで現象学が存在論に曲解されてきた。だが、フッサールはデカルトと同じく明証性(というより共通了解の確信)を獲得するための学の方法論を確立しようと努めたのであり、決して存在論を展開してはいない。そしてハイデガーの存在論もフッサールの方法論によって存在の確信を獲得しているために、ハイデガーはフッサールを全く超え出ていない。フッサールは学の基礎付けに失敗したという一般論は誤りである。他者との共通了解を得ているという確信を得るための方法論としてフッサール現象学は一つの究極点に到達している。

以上は本書から得た私のフッサール現象学理解である。私の読解は誤っているかもしれないし浅いかもしれない。しかし、竹田さんと西さんの「超越」概念に対する正確な把握は、新田氏をはじめとした日本のフッサール読解の誤解を完全に論破しきる力強さを持っているように思う。意識に先立つ根源的存在などフッサールは前提としていない。それは現象と同じく純粋意識からの超越によって確信を得られるものに過ぎなくドクサの枠をでない。より大切なのは、存在は現象(自然科学など)と異なり、共通了解の確信までは得ることができないから、存在の確信について共通了解を得ようとするとスコラ議論になってしまうことに自覚的になることだ。純粋意識という感覚を除けばフッサールはすべてに可疑性を残している。ただ現象に対する共通了解の確信可能性と存在に対する確信可能性という希望とそのための方法を示して。




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2012年09月09日

アトピーの原因と対策(改)

※注意※
筆者は18の時に成人アトピーに罹患し、10年苦しんだ末に食事療法で克服した。以下は、その個人的経験からくるアトピーに関する見解である。もちろん医学的につめた見解ではない。素人の見解である。しかし、だからこそ役に立つ場合もあると考え投稿する。アトピーで苦しんでいる方に何かしら参考になれば幸いである。


※考え方※
アトピーの原因は植物油脂の過剰摂取にある。植物油脂にはリノール酸という脂肪酸が多く含まれている。リノール酸は体内に取り込まれるとアラキドン酸に化学変化しグリセリンと結合することで脂肪となる。アラキドン酸過多の脂肪は細胞膜の構成材料として付着して炎症型のプロスタグランジンを生成する。これが免疫を狂わせる。狂った免疫が正常な皮膚細胞を攻撃することでアトピーとなる。

対策として、アラキドン酸過多を脱却するために、日々の食生活において植物油脂を徹底的に排除する。代わりにリノール酸やアラキドン酸と競合して炎症を鎮める働きがある脂肪酸(ドコサヘキサエン酸、エイコサペンタエン酸、αリノレン酸)の摂取を積極的に行う。

またアトピー罹患者の多くは「植物油脂の取りすぎによるアトピー」と「食物の消化不良による食物アレルギー」を併発している。植物油脂によるアトピーと食物アレルギーは症状が同じでも因果の流れは別物である。植物油脂排除とは別に、食物アレルギーを起こしている食材を特定して排除する作業も必要になる。

食物アレルギーはたんぱく質の消化不良によって起こる。本来、たんぱく質は消化によってアミノ酸(正確にはアミノ酸が二個三個つながったジペプチド、トリペプチドらしい)にまで分解され、食材の生命情報を消し去ってから体内に取り込まれる。しかし、なんらかの理由(腸内環境の悪化など)で消化能力が低い人は、たんぱく質を十分に消化できず、食材の生命情報を残したままオリゴペプチドやポリペプチドとして取り込んでしまう。これに免疫が反応してアレルギー症状が起きる。消化困難な食材は人それぞれなので、その食材の特定は日々の食事記録を残したり、アレルギー検査を受けたりして独自に発見していくしかない。最近は腸をきれいにすればアトピーは治るという言説が盛んに流布され、乳酸菌販売などで企業が儲けている。でもこれは食物アレルギーを克服するだけで、アトピーの根本治癒にはつながらない。植物油脂排除も同時並行して行う必要がある。

特に米アレルギーは重傷アトピー患者に多い。特徴的症状としては、パサパサした乾燥性のフケが頭部に出る。目周囲に湿疹が発生して赤くパンダのように広がる。猛烈にかゆい。どうやら米の品種改良が原因らしい。コシヒカリやあきたこまちといったモチモチ感を売りにした品種は、本来日本人が主食にしていたうるち米にもち米を掛け合わせて作ったもので常食とするには不自然な品種なのだ。お米は炭水化物といわれるが、たんぱく質も結構含まれている。あのモチモチ感の原因であるアミロペクチンが米たんぱく質の消化を困難にしていると思われる(例えばアミロペクチンのα‐1,6グルコシド結合を切断する酵素と米たんぱく分解酵素が競合関係にあるとか)。一週間ほど米の摂取を完全に断ってみて症状が改善すれば米アレルギーの疑いがある。(人によっては一カ月断ってみないと効果が出ない場合もある。)その場合、もち米要素を取り込んでいないササニシキやゆきひかりなどのさらっとした食感の品種を選ぶべきである。


※具体的対策法※
<以下の食材を食べない>
揚げもの
炒めもの
市販パン(代用バターであるマーガリンやショートニングは植物油脂)
ナッツ類(ココアやチョコレートなども排除)
豆類(市販の安い納豆はただの大豆に納豆菌をくっつけただけで大豆そのものは全く発酵していないニセ納豆である。納豆菌を生かすため、大豆が空気にさらされており、酸化した植物油の宝庫と化している。大豆類はみそなどきちんと発酵したものだけを食べる。豆腐は油脂が抜けているので食べられる。)
菓子類
お米(もち米系品種であるコシヒカリやあきたこまちを避け、うるち米系品種であるササニシキやゆきひかり等にする。ササニシキやゆきひかりといえども常食はしない。たくさん食べない。おかわり厳禁!!米を食べ過ぎると体が焼ける、ただれるというのは昔の人にとっては常識!!)
脂肪の乗った肉類(肉類にはリノール酸、アラキドン酸多し。肉はぱさぱさしたオーストラリア産の牛肉をしゃぶしゃぶにして脂肪を落としてから食べる。もちろん植物油脂の入った焼き肉のたれは避ける。豚や鶏は牛よりリノール酸やアラキドン酸が多いので、できるだけ避ける。特に皮つきの鶏肉は厳禁)
オリーブ油(重度の場合は排除。オリーブ油はオレイン酸が主成分でリノール酸は少ないがそれなりに入っている。重度アトピーの場合は摂取を控える方が無難。)
チーズやクリーム(牛乳そのものは飽和脂肪酸が多い。リノール酸やアラキドン酸といった不飽和脂肪酸は少ないが、チーズやクリームとなると乳脂肪の寄せ集めだけに、チリも積もればなんとやらでリノール酸やアラキドン酸の含有量が跳ね上がる)
各自それぞれ食物アレルギーを起こす食材(卵、米、小麦、牛乳が最も疑わしい。筆者は卵、米、もち米、小麦を排除中。)

<以下の食材を毎日食べる>
青魚(さんま、さけ、いわし、さば、あじ等/ドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸の補給と必須アミノ酸の獲得が目的/さんまが最もプロテインスコアが高い/できれば加熱せず生のまま刺身がよい。加熱すると酸化が促進するので。)

<推奨食材>
キャベツ(下手に乳酸菌飲料やヨーグルトを食べるより便通が良くなる。ただし、他の野菜より農薬が多く使われるので、茹でて農薬を落とすべし。茹でて細胞壁を壊した方が、生のままより栄養吸収率も高い!)
寒天(きざみ寒天にして毎日の味噌汁に入れる。便通が良くなる)
大根(消化酵素で消化を助ける)
たくあん(米アレルギーの方にオススメ!たくあんをバリバリ食べながらウルチ米系品種のご飯を食べると米アレルギーが出てこない!大根の消化酵素は偉大!ただし、着色料不使用を選ぶべし!)
イモ類(米の代用食として)

※期間※
良くなったり悪くなったりを波打つように繰り返しながら、だんだんと悪化の程度が治まる。直線的に良くなって行かない点に注意。食事療法を始めた後、いったん悪化しても食事療法をやめないことが重要。3か月もすれば食事療法が効いているのが確信できる。そうなれば以前の食習慣に戻る気はなくなるはず。スーパーの総菜コーナーで揚げものの臭いを嗅いだだけで吐き気がするようになる。完全に症状が無くなるまでの回復は年単位の努力が必要と思われる。

※追記※
動物油脂を摂取するより植物油脂を摂取したほうが身体によいという言説が流布している。自分のアトピー克服経験からいうと、それは間違っていると思う。植物は動くことができないので天敵から逃げることができない。ではどうやって自分の身を守るかといえば、自分の体内に毒を内包するしかない。逆に動物は動いて逃げられる。危険と手間をかけて自分の体内に毒を仕込む必要なんてない。植物にとって毒を内包して身を守ることは普通であり、動物にとっては異常なことである。では、植物はどこに毒をため込むかといえば、それは油としてため込むのが常道だろう。生物は動的平衡という仕組みなのだから、体内物質はつねに入れ替わる。ただし油だけは飢餓対策として一定期間体内に保存する。油の状態で毒を保有するのが最も効率的と思われる。だから植物油脂は防衛毒の塊といえるのだ。森の中に素肌丸出しで突撃すればかぶれまくるのと同様、植物油脂を体内に過剰に取り込めば体内からかぶれまくるのは、よく考えれば当たり前のことだ。アトピー患者は体内が森林状態だ。いくらステロイドを塗ったって治りはしない。植物油脂は、動物油脂より危険である。

聖書によれば、人間は知恵の実を食べたため、神の怒りを買ってエデンの園を追放され、労働と生みの苦しみにあえぐことになったという。狩猟生活を捨て、農耕を始め、植物を食べるようになったことで、リノール酸過剰摂取による炎症が人類を襲った。もしかしたら、この経験のメタファーが知恵の実の話に含まれているのかもしれない。

※追記2※
なお、シソ油や亜麻仁油は植物油脂の中でも珍しくリノール酸が少なく、αリノレン酸が多い。アトピーに良いと盛んに宣伝され商業化が進んでいるが筆者はその効能に疑問を持つ。個人的経験として、亜麻仁油を摂取した際、明らかにアトピーが悪化した経験を持つからだ。シソ油も亜麻仁油も植物の種子から絞り出した油であることに変わりはない。種子は植物の赤ちゃんであるから、最も保護すべき存在であり、毒をもって防衛すべき最右翼な存在である。脂肪酸という視点からは分からない毒が仕込まれているのではないかと思う。長年食べ続けられ、品種改良を重ね、毒抜きをしてきた米や小麦ですら人間に危険な場合もあるのだから、他の植物の種子を食する場合はさらなる警戒が必要だ。

※追記3※
牛肉は肉にやわらかさを出すために、餌としてトウモロコシや米を与えている。本来、牛は牧草を食べるはずであるのに・・・。トウモロコシや米の油が、そのまま肉の油に転化しているのではないだろうか。本来、安全な動物油脂がガンの原因になっているのも、家畜のえさの異常に原因があると思われる。 青魚がアトピー良いのは、ただ単にDHAが多いからというだけでなく、青魚のほとんどが養殖でなく野生の魚である点も大きい。青魚は単価が安いので養殖しても割に合わないのだ。不自然な餌で育っていない動物の油脂はもはや青魚で摂るくらいしか方法が無い。

※追記4※
魚の重金属汚染が叫ばれているが、今のところ危険なのはマグロなど生態系の頂点に位置する魚における凝縮である。青魚の段階では毎日食べても問題ないと考える。魚の重金属汚染のリスクと家畜の餌による脂質異常リスクを天秤にかければ、青魚を選択する方が妥当と思う。肉も魚も摂取しないという道(いわゆる菜食主義)は、必須アミノ酸を十分獲得できずに老化を促進するので、選択肢に入れるべきではないだろう。

※追記5※
米のでんぷんはアミロースとアミロペクチンに分かれる。アミロースが多いとさらっとした食感になり、アミロペクチンが多いとモチモチした食感となる。モチ米はアミロペクチン100%であり、コシヒカリやあきたこまちといったモチモチ感を売りにした品種もアミロペクチンの割合が非常に高く、アミロースは少ない。

恐ろしいことに、このアミロペクチンは摂取過多になると小腸炎を招くようだ。「アミロペクチン 炎症」とか「アミロペクチン 小腸炎」などで検索してみてほしい。コシヒカリを毎日食べていれば、慢性的な小腸炎になっていると考えられる。それが食物アレルギーの原因となっていいるのではないだろうか。

もし現代日本人が弱体化しているのだとしたら、その原因は「植物油脂」と「コシヒカリ」のような気がする。

※追記6※
筆者は経験上、植物油脂は人間には一切不要という立場を採っているが、経験からきた素人見解ゆえにバイアスがかかった極端な意見である可能性も十分にある。特にアトピーなど疾患からの回復には植物油脂を徹底排除する必要があっても、健康な人があえて植物油脂を積極的に排除する必要はないとする意見は傾聴に値する。そこで植物油脂の危険性を認識しながらも、その効能(特に抗酸化)を無視すべきではないという主張をするサイトも下記に記す。カウンター意見として参考にしてください。

日本植物油協会
九州大学、熊本県立大学名誉教授 菅野道廣先生
http://www.oil.or.jp/topJiji/bn3.html

アトピーなんか飛んでいけ!の会 ブログ
http://tondeke.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-f9ca.html

結局のところ、リノール酸やアラキドン酸といったオメガ6とドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸といったオメガ3のバランスの問題である。アトピーの人はオメガ6過多によって炎症体質になっているのだからオメガ6は極力排除する必要があるが、バランスが取れている健康な人がオメガ6を積極的に排除する必要はない。それは理屈が通る。ただ注意すべきは青魚といえどもオメガ6はたくさん含まれているという点だ。青魚はオメガ3が比較的多いというだけにすぎない。そこにあえて精製された植物油脂をも摂取すれば、健康な人とはいえ脂質バランスはどうなるのかは考えるまでもないことのように思う。

ちなみにオメガ3はオメガ6より酸化が早い。オメガ3を多く摂取すると体内の酸化を早め老化を促進させるのではと邪推してしまう。しかし心配ご無用!いったん体内に取り込まれると立場が逆転しオメガ6の方が酸化スピードが早くなる。炎症を抑える面でも、体内の老化スピードを抑える面でもオメガ3は効果的だ。文句のつけどころがない。
タグ:アトピー
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posted by あれるげん at 15:58 | Comment(11) | TrackBack(0) | アトピーの原因と対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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