2013年09月30日

消費税と自由と都市と

明日10月1日に安倍総理は消費税率を8パーセントに引き上げることを正式に表明するという。来年4月から引き上げる。この時期が適切か否かは疑問であるが、消費税はいずれは引き上げねばならない。

家計の貯蓄率が低下している。もし一般に言われるように高齢化がその主要因ならば景気が回復したとしても貯蓄率は上がるまい。そして、ただでさえ少ない貯蓄が景気回復によって民間投資に回れば、国債を購入する元手がなくなる。またアベノミクスによってインフレ期待が高まり、いわゆる流動性のわなから脱却して消費が伸びれば、貯蓄そのものが削られる。家計だけでなく企業の貯蓄も低下する。となればますます増加する社会保障費は誰に負担してもらうのか。海外にもっと国債を購入してもらうか増税かしかない。国債の信任を維持する必要性も格段に増す。プライマリーバランスを黒字化して、公的債務残高とGDPとの比率を悪化させないことが要求される。成長率よりも利子率の方が高くなりがちな現状においては中途半端な黒字ではダメという言説もある。なかなか見通しは暗いというのが一般論だ。少なくとも増税は不可避だ。

とはいえ、来年4月に増税というのは、デフレ脱却作戦としては急ぎすぎというのも説得力がある。今回の作戦は日本海海戦に匹敵する大ばくちなのだから、もっとリスクを負わないと勝てるものも勝てなくなる。連合艦隊を対馬と津軽に分けてリスクヘッジをしてしまう弱気戦略が、今回の急ぎすぎた増税に当たるのではないか。明日、安倍総理の大どんでん返しが…。ないだろうなあ…。日銀が艦隊決戦に挑む前に勝負がついてしまうなんてことにならないことを願うばかりだ。

一方で、国債はいざとなれば日銀が直接引き受けをすればよいから増税なんて不要という変な言説がある。しかし、これは数字ばかり追いかけて近代法を知らない経済学者が陥りやすい間違いだろう。日銀の直接引き受けが制限されているのは、インフレが怖いからではない。立憲主義を守るために制限されていると考えるべきだ。立憲主義に基づく権力分立のために日銀は直接引き受けが無制限にできない。直接引き受けを無制限に解放したら政府は一時とはいえ打ち出の小づちを手に入れたも同然である。近代国民国家という正当な暴力機関がマネーを自由自在に操れるとなればどうなるか。インフレで経済がめちゃくちゃになるどころか自由そのものが完全に死ぬ。公務員の天下になり市民の人権が無茶苦茶という災難がインフレより先にやってくる。20世紀の大戦間に起きた悲劇がそれを教えてくれている。それを防ぐために我々は権力分立という制度を開発した。これはよく言われるような三権分立ではない。現代(1945以後)の権力分立は五権分立である。立法、行政、司法、地方分権、そして通貨発行権の五権だ。通貨発行権を国家に渡してはならない。中央銀行はそのために独立性を求められている。無制限な直接引き受けは違憲である。これは経済問題である以上に政治問題なのだ。

消費税が段階的に上がっていくことは防げない。グローバル経済がそれに拍車をかけている。企業が国境を越えて組織されていく中で、近代国家は市民の所得を正確に把握することができなくなっている。日本は源泉徴収制度が優れていたので、給与所得者の所得は完璧に把握していたが、人々が国境を越えて猛スピードで商売するこれからは、それも不可能になっていく。近代国家はその収入減を所得税から消費税に切り替えていくしかない。いままでの日本の財政を支えていた一つに所得把握能力の高さがあったが、それも宝の持ち腐れとなる時代が来てしまったといえる。消費が活発な大市場を持っていない国家は、たとえ優れた産業を持っていようとも、その税収でお話にならない時代の到来である。労働でなく消費つまり効用に価値の根拠の重心が移る時代の到来である。実体経済よりマネー経済が圧倒的に大きくなるということはそういうことなのだ。国債とかインフレとか財政規律といった数字だけをみて今回の消費税の増税を眺めていては、なにも見えてこない。いかに整備された魅惑的な大市場(大都市)を保有するかがこれからの国家の盛衰を決めるだろう。外国人に国債を売ることによってではなく、外国人を日本国内に招き入れ、その消費から歳入を確保する。東京や大阪をより大きく、より強くしていくことが日本の盛衰を決定するのは明らかだ。国民の労働力の優秀さではなく都市の効用集積力が国家の価値を決めてしまう。新しい中世だ。21世紀型のダマスクスやバグダードを目指さなければ没落する。将来的には東京の人口の5割を外国人にする覚悟も必要だろう。近代国家という国家概念の再考をも促されるかもしれない。そもそも日本とは何か。日本を守るということは何を守ることなのか。真剣に考える必要が出てくる。アベノミクスによって賽はすでに投げられた。後戻りは不可能だ。東京オリンピックは大事にしたい。

でもこれでは国家守って、国民守らずになってしまうような気もする。国家にとって国民の労働力よりも効用集積力が大事になるということは、要は国家にとって国民の優秀さは不要ということになりかねず、公教育の価値が低下するし、日本で土着にこだわる国民よりも、国境を越えて日本に商売にやってくる外国人様の方が国家にとって大切な存在になってしまう。十字軍のように通商路の構築のためには兵士や市民の人権なんてくそくらえだったのが中世だ。21世紀という新しい中世でも通商を守るために国民は犠牲になりかねない。国民に消費税という犠牲を払ってもらわなければ、国債と通貨は維持できない。労働では創造されまくる通貨の価値を支えきれないのだ。現代は近代国家と通貨と通商が一蓮托生である。国家が死ねば通貨が死ぬ。通貨が死ねば通商が死に物流は止まる。日々の生活を守るためといって、日々の生活を苦しめる国家を打倒することもかなわない。あべこべになってしまうから。ロックのいう抵抗権なんて空理空論と化している。こと人権という視点で見たならば現代の状況は八方ふさがりだ。

労働と近代的自由は本当に深くつながっているんだと改めて実感する。近代的自由を実現するための組織たる近代国家がグローバル化によって制度疲労をおこしている。近代的自由を実現する基礎たる労働が容易に国境を越えて移ってしまう。労働を軸に構成された国家が労働を把握できていない。労働なき労働社会の矛盾に基づく地獄がこれから噴出するのだろうか。全く新しい自由概念に基づく法構想と通貨構想が出てきて新しい中世を克服していくのだろうか。

It has begun.

タグ:消費税
posted by あれるげん at 19:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。