2014年03月01日

ビットコイン狂想曲

新時代の通貨を自称していたビットコインでトラブルが発生したようだ。ビットコインの取引サイトを運営するマウントゴックス社のコンピューターがハックされ、大量のコインデータが失われた。マウントゴックス社はサービスを維持して責任を果たすため民事再生法の適用を昨日、東京地裁に申請した。

ビットコインは基軸通貨のドルに成り替わり、安全でフェアな世界通貨となることを目指して設計されたようである。しかし、その夢は叶うまい。コンピュータ取引の不安定さや犯罪の温床になっていることを脇においても、そもそも設計上で、このビットコインは基軸通貨足りえない限界を孕んでいる。

なぜなら、このビットコインは全く希少性を脱却していないからだ。このサービスは通貨総量を人ではなくコンピュータに組み込まれた計算式に任せている。だから通貨の総量が変化しにくい。その希少性が価値を生み出し、通貨として機能する。ゴールドと同じだ。

しかし現在の基軸通貨である中央銀行券は希少性を克服している。ゴールドやシルバーは希少ゆえに価値があった。だが経済が活発になると、その希少性がネックになって取引の拡大を阻害する。その不便性を取り除いたのが中央銀行券の仕組みだ。中央銀行券の価値を支えているのは、希少性ではなく、信用と法的権利性だ。すさまじい流動性をもった特殊な債権証書だ。一種の手形だ。お金そのものに価値があるのでなく、人と人との間にある関係が化体された媒介が現在の通貨だ。だから自由な取引の多寡によって、我々の自由な意思の有無によって、通貨量が変動する。通貨量を直接制御するのは、中央銀行でなく自由市場である。中央銀行が出来ることはせいぜい通貨量の変化を促すことぐらいだ。だから今、日銀は苦しんでいる。チャレンジしている。

ビットコインは取引の需要に応じて、通貨量を調節できなかった中世に戻りたいのだろうか?数式を解くことでビットコインは発掘できるとのことだが、需要が増えれば増えるほど発掘しにくくなるそうである。広まるはずがない。設計思想から間違っている。犯罪の温床になるのがせいぜいだ。

通貨は複雑な自由市場の取引需要に即座に応じられる柔軟性が必要だ。そのためには通貨の価値を通貨そのものでなく、通貨を介して繋がる人と人との関係に置く必要がある。そして初めて自由な市場が開く。コンピューターの計算式のような公理系システムでは自由を生み出す通貨足る資格がない。必然のルール体系下では偶然という自由が生まれる余地がないからだ。ビットコインが通貨になりうるという判断は浅はかな判断であり、その設計思想は幼稚でマッドサイエンス的である。言ってしまえば理系バカである。

価値とは物そのものが保有しているのではない。概念そのものから価値の力は溢れ出てこない。自由と価値は人と人との間に生まれるのである。


posted by あれるげん at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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